2005年09月23日

《青春のバイブル》河原で番長連合と決闘してみよう

青春とは若き血潮の発露のことであろうか。若者は時として無謀とも思える行動をとるものである。例えば登山家が山に登るとしてもそれはそこに山があるからであって、若者が強大な何かに立ち向かうとしてもそれはそこに賭けるべきものがあるからではないだろうか。もし、あなたが何か強大なものにぶつかるならそれに全力で立ち向かうべきだろう。たとえそれが、あの恐るべき番長連合であっても河原で決闘をもうしこんでみよう。


§なぜ「決闘」なのか

古来より決闘とは互いの誇りを賭けた神聖なる儀式であった。ヨーロッパでは白手袋を対象者に投げつけることにより意思を表明した。本邦においては名乗りをあげることで自身の精錬さを表明し、来るべき決闘の序章とした。そう。決闘とは互いの魂の呼応の儀式なのである。拳と拳、血と汗の交流によってはじめて分かり合えるものもあるのだ。だから勝ち負けに問わず若者は決闘をするのである。

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§典型的なケース

・番長連合が強いる旧体制的なしきたりにどうしても賛同できなくなった場合
・かわいいあの子や大切な友達が番長連合によって貶められている場合
・旧派閥体制が新体制の発起に横槍を入れてきた場合


§行動を取り巻く条件

@見晴らしの良い河原。
A東側に土手があり夕日が望めること
B恋人もしくは友達が見守っていること
C不可能な場合は感情を高めれる場所


§ケーススタディ(会社員 36歳 男性)


  とある繁華街の飲み屋街。そう、誰もが社会のしがらみを忘れてひと時の憩いを得る場所である。孝之は36歳。家には妻と子供がおり、会社では係長の地位にある。今日は会社の同期と日頃の関係は忘れ、ただの男同士として酒を酌み交わしていた。

  「おっと人にぶつかっときながら挨拶もなしかよ?」街のチンピラである。「いけねぇなぁ。いい大人が礼儀をしらねぇなんてなぁ。おい。教育してやれ」そう言うや否やチンピラの仲間達が襲い掛かってきた。「ほお。高島製薬の係長さんかよ。なんだよその目は?」孝之が落としたパスケースをみながらチンピラがいう「やるってぇのか?明日の朝刊が楽しみだなぁ」

そう、孝之は地位も家庭も名誉もある社会人である。守るべきものは沢山ある。
暴行を受けている友人。それを守れない自分。そして大人になってしまった自分。様々な思いが孝之の中を駆け巡る。そして、孝之はぐっと拳を固める。なぜならそこに強大な敵がいるからだ。
「サラリーマンをなめんじゃねぇえええ!!」

(Posted by Camel)
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